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nomurakazuo.comは私・野村一夫のメインブログですが、いささかレスポンスが遅くなってきたのでサーバーを変更しました。このさい諸般の事情からドットコムはしばらく残すことにして、nomurakazuo.jpに移行します。

「野村一夫の個人的感想」http://www.nomurakazuo.jp

ルシファー・エフェクト

800ページもある本。冒頭でルワンダと南京のジェノサイドの話があったので引き込まれる。いずれもドキュメントを読んできたから、考えるヒントになりそうだ。ま、ヒトは状況次第で何にでもなる。その人の「本質」とか「性格」なんて関係ないのだ。 

 

プログレ魂、百まで

ノマド教授の説教部屋。私の世間がきわめて狭いからかもしれないが、日本語圏においてFBやツイッターでちゃんと応答している人たちって、世間ではかなり稀少ではないかなあ。リアル社会においては、老いも若いも「儀礼化するコミュニケーション」で流していることが多いと感じる。アドリブが効かない。応答しないで沈黙する。せいぜい、どこかにあった言葉を型どおりに使用して、同類通しでうなづきあって、異物を排除して。それは「応答」ではないでしょ。だって何も始まっていないから。ほんとうの現実はもっと別のところで議論されて決定されている可能性を想像しないのかな。真剣な言動ほど応答しない人たちが多すぎる日本。

映画の語り方についての若干の感想

私のゼミにはいつも映画好きがいて、そういう発表もしてもらうのだが、いつも感じる違和感がある。それは興行収入と映画賞受賞についてしか言及されないことだ。そんなこと、文化論としてはどうでもいいじゃん‼︎ と思ってしまう。ただ、それを抜いてしまうと何も残らないので、あえて言わないことが多い。これって、ライナーノーツにも多いパターンだね。そんなのは誰かが何度もやるんだから、文化論としてはちゃんと作品論をやろうよ。作品の価値は、作品自体に内在していると想定して語っていかないと全然面白くない。内容に踏み込んで論じないと何の意味もないと思うんだ。これ、ゲームについてもファッションについても広告についても音楽についても言えるんだよ。

手ぶらの人の効用

何かをリスタートするときに人びとの意見聴取をするのはいい。しかし、ちゃんと意見のある人と手ぶらの人とを平等に扱うのでは、まったく儀礼的なものになるしかない。ちゃんと考えて意見を持っている人には、あとでディープインタビューをすべきであろう。とことん聞き出していけば、軌道修正も可能になる。何も考えていない手ぶらの人の意見を尊重するというのは、つまり操作可能な人たちをもって正当性を担保するという、役人にはよくあるやり方で、それでもってハードコアを封じる戦術的な方法に他ならない。しかし、それではリスタートする意味がない。道を誤る。「手ぶらの人」を相手にするのは、民主的でも何でもなく、たんなるごまかしである。

ヤスパースの哲学的自伝を読む

と言っても2回目である。並行してかれの著作を読み漁っているが、かれの知的な変遷がとても興味深いので、元に戻っているところ。写真は、主著の『哲学』構想時点の決意を語ったところである。ああ、哲学はいいなあ。社会学者は忘れているが、ヤスパースはウェーバーの哲学的継承者である。こういう展開もあるのだ。