「何かおそろしいこと」の予感

「何かおそろしいこと」の予感はみんなが共有している。それを除去するために、それぞれの生活の一部を捧げたい。それは同じ。私も自分のできる抵抗はしてきたし、これからもする。私にできることは「何かおそろしいこと」を具体的に想像して、その根っこに光線を照射することだ。そして有効な抵抗のあり方を提示することだ。それは言葉でなされるが無力ではない。知識は権力だ。言葉だけでも権力闘争はできる。