安保法制は日米地位協定との関連で議論すべきだ

ここ数日の連続ツイートをまとめ直す。

長谷部先生の憲法学を最近まとめ読みして、憲法学独特の知的世界の深さと広がりを知った。六法はさっぱりおもしろくないが、憲法学はおもしろい。長谷部先生はベースも弾く方で、けっこうラフなエッセイも書いておられる。著書や講座物はだいたいフォローした。

ただ1点だけ疑問のある論点がある。それは憲法制定権力を憲法学から削除せよとの主張である。それは物騒な概念なので、振り回すとろくなことはないから。それは憲法学のパラダイムの基盤を崩すからだろう。理論的整合性を突き詰めると、それはその通り。

憲法学において、そんな概念を使うようになったらおしまいだ、という気持ちはわかる。けれども今生じている事態は、そうした憲法学の外部の憲法制定権力(行使しているのは覇権国アメリカ)に起因するのではないか。国家には憲法があるが国際政治に憲法はない。ましてアメリカはこの70年、日本に対して憲法制定権力を行使してきたではないか。日米地位協定は日本国憲法の上位にあって、そこからの逸脱はわずかたりともアメリカは許容しなかった。

第一次安倍政権から日本の右傾化は激しい。民主党政権でも具体的に行政的なストップをかけることができたわけではない。そして今にいたる安倍政権は日本を主権国家として(それが「普通の国」)自立させるのをミッションとしている。こんなナショナルな政権をアメリカが放置できるわけがない。そもそも論から考えると、そうなる。

海洋進出著しい中国にもっとも脅威を抱いているのはアメリカじゃないのか。アメリカが動いているという前提で、国内事情を読み解いた方がよい。その点で、日本のマスコミとアカデミズムは、もっと踏み込むべきだ。国内問題として扱うから、人びとは国際的視野に立てないで感情的反応になってしまう。

ウォルフレンは日本のマスコミや知識人を痛烈に批判してきたが、それはたんにナショナリズムに偏ったメディアや党派的な論壇を批判しているのではなかったんだなあ。議題設定そのものに関して全てのメディアが政治を国内問題として定義してしまうから、一見批判的でも実は国際的文脈を隠してきたんだ。

安保法制は国内問題ではない。日本国憲法との関係ではなく日米地位協定との関連で議論すべき問題だ。

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