「戦争回避のアルゴリズム」を逆算的に構築せよ。

デモもマスコミもネットワーカーも有名人もインテリも「感情をゆさぶる絵になること」にしか関心がないので「抵抗の証し」を提示できればオーライということなんだ。思考停止してるんだ。政府も「すべてのシナリオ」を出してないでしょ。このままだと法案反対言説が憲法改正を呼び込むことになるよ。

「集団的自衛権を認めるなら憲法改正しないとだめ」という言説は危険だよ。選挙で数の論理は決まっちゃってるから安保法制は通るに決まっている。となると違憲訴訟。合憲と出れば確定。違憲と出れば「憲法改正すべき」が政府の義務になってしまう。ほんとに憲法改正に持ち込まれちゃうよ。詰め将棋だ。

「戦争やりたい」なんて、だれも思ってない。「戦争にならないためにどうするか」で政治的思考がわかれる。キューバ危機のとき、ケネディは核兵器を使用しないために徹底的な海上封鎖で抵抗した。ひたすら臨検するだけの海軍力行使で核戦争は防げた。何もしないという選択は事態を悪化させるだけだ。

昨日、NHKで沖縄戦の実態を見たが、恐怖以外の何物でもない。日本兵もアメリカ兵も住民たちも、追い詰められて追い詰められて、それが大量の悲惨な死を呼び込む。いったんこうなると、だれも止められないのが戦争だ。内戦だって同じこと。マッカーシズムなんかいつでも起こりうる。先手を打つこと。

問題は先手の打ち方だ。抑止論なんて当てにできない。抑止論は相手が正気のときしか機能しない。主権国家だって、今の中国のように、中央政府対地方政府とか、現場のはねあがりとか、一枚岩ではない。だから国際情勢は先が読めないのだ。かといって「先手を読む」の延長線上には先制攻撃の誘惑がある。

この「先制攻撃への誘惑」は政治的なものだが、現場では「恐怖との闘い」が先制攻撃を誘発する。昨日の沖縄戦の分析でも、自爆反撃する住民たちへのアメリカ兵の恐怖が火器による皆殺しへとエスカレートしていく過程が指摘されていた。現場に蔓延する「恐怖」をいかに除去するかが徹底的に重要なんだ。

「現場での恐怖」状態からひとつひとつプロセスを逆算して、それぞれの分岐点において、どういう決定が行われるべきかをひとつひとつ決めておくことが必要だと思う。それを丹念にさかのぼって、戦争回避のアルゴリズムを決めていくことが大事だと思う。「戦争回避のアルゴリズム」を逆算的に構築せよ。