自民党の宗教的基盤について

フェイスブックの方で、最近の安保法制の議論に対して考えたことを書きました。それに関連して質問があったので、さきほど返信したところです。それを丸ごと公開しておきます。

長くなりそうなので、シェアしてこちらに書く。カール・シュミット憲法論からの議論を教えていただいた落合先生が自説を公開された。私もけっこう勉強し直したので、じつはかなり先生に近い。http ://nomurakazuo.comに書いた「抵抗のレイヤー」を参照してほしい。たんなる反対では有効な抵抗にならないというのが私の考えである。その上であえて先生と異なる論点を書いておく。(1)憲法制定権力はまだ作動していない。今は解釈変更だけなので、これまでの自衛隊設置と同じだと考える。(2)憲法改正となると憲法制定権力が本格的に作動するので、きわめて危険な状態になる。大地震や原発の状態悪化などが重なると憲法停止状態の可能性もある。これがもっとも危険。それゆえ憲法改正には反対である。象徴天皇制もふくめて日本国憲法を100%支持する。一言も変えるなと言いたい。(3)今回の反対論の元凶は集団的自衛権にある。じっさいには重層的な歯止めがかかっており、想定されているのは、ほとんど個別自衛権で対応できるものばかりである。ほじくりだすから、範囲を広げたい首相が自説を述べてしまうのだ。自民党高村氏と公明党北側氏らのグループと内閣法制局と防衛省が異例の連携をくんで、首相や石破などを黙らせて納めた範囲なので、外交的な安全保障の埒内に納まるようになっている。だから首相はやたら強気なのだ。しかし、世論の反発が大きいのであれば、いっそ集団的自衛権をはずせばよい。個別的自衛権と国連事案だけでよい。それで外交的な現実対応はかなりできる。集団的自衛権の概念はいらない。それなしで、できる範囲の法律に限定して個別議論していけばよいのではないか。

▼ここで自民党の宗教的基盤についての質問。(省略)それに答えた返信は以下の通り。

おはようございます。夕べは、バタンキューで寝てしまいました。自民党の場合は教派神道系教団のことですよね。私の大学は神道系なので、わかりますよ。と言うか、昨日はそのエライ方たちが大学に集まる日だったらしく、エレベーターで袴姿の「教主」とか「金光教」という名札をつけた方々と同じになってしまい、そのオーラに畏れ入ったばかりです。かなり上の方の方たちがきていたらしい。で、自民党は、そうした神道系宗派を支持母体とする日本最大の宗教政党であります。しかも、公明党のように組織的な政教分離をしていない。ちなみに訳知りな人が悪意を込めてあえて「創価学会=公明党」と書きますが、地方議員の場合、同志的つながりはあるにしても、組織的にはきっぱり切れています。だから戦後民主主義そのままの護憲の創価学会の意に反して、ここのところの公明党はかなり自分たちの判断で動いています。それに対して自民党のそういう宗教的背景はあまり強調されていないように思います。サヨク的な人は、靖国神社以外には批判しようとしないのが不思議というか、そういう人たちもそれら伝統宗教に取り込まれているんですね。本人たちは自覚がないみたいだけど。頭が悪いんじゃないかと思いますけどね。で、吉田神道などの教派神道や幕末に生まれた神道系新宗教教団は、そんなにおだやかなものではありません。かなり過激です。私は「カルト」ということばは薬物利用布教などに限定して使うようにしているので、そういう言葉では理解しませんが、思想的には「國體」論ははげしく(!)生きています。だから日本国憲法は腹立たしい存在で、憲法改正はずっと昔から主張してきたわけです。そもそも自民党の思想的存立基盤はそこにあるんですね。ですから自民党の憲法試案はとんでもないものになっています。こんなものを正面に出して選挙やったら、さすがの政治的鈍感な人たちでも抵抗するでしょう。だから、自民党は3段ロケットにして、1段ずつクリアしようとしているんです。今回は1段目ロケットで、基本的にはイデオロギーとは関係ない局面です。国際情勢や国連活動や同盟関係などを現状に適応させるのが目的です。見識がありそうな高村副総裁が自民党の國體論者を説き伏せて、国際情勢に対応可能にしようとしたのです。安倍首相自身は一気に自主憲法改正に行きたい人なので、我慢させられているので、ときどき答弁で逸脱しますが、一応がまんしている。自民党にはいろんな人がいるので、そういう「政治」ができる人も「いい人」もいるのが強みですねえ。・・これでは答になりませんね。なので、公明党や内閣法制局や防衛省のように、憲法改正が困るという組織が、今回の法案を率先して作成して、これで終わりにしようとしているわけです。与党と政府と官僚の思惑は、じつはかなりちがっていることに注意しなければなりません。朝日新聞はそのあたりをよく追って書いていますし、木村草太さんも書いています。で、この段階を「憲法制定権力」の発動とみなすのか、その阻止行動の結果と見なすのか、全部ひっくるめて(ごっちゃにして)権力の横暴と見なすのかで、批判的見方が別れます。最初のは落合先生の見方、私は第二の見方、第三の見方はサヨク的心情のみなさんの見方。私は第三の見方はちっとも「抵抗」にならんと思っていて、それで落合先生にシュミットの憲法論を教えていただいて腑に落ちたので、考え方を変えました。でも、落合先生のように理論的に保守主義を考えてこられた方とちがって、私は「中間主義」みたいなところに落ち着くので、判断はかなりちがっているというわけです。でも、こういう議論をサヨクの人たちが避けているのは、ほんとうに困ったことだと思っています。・・・で、こういう話でもなかったですか。神道系宗教の話でしたね。自民党の根強い宗教的基盤については、もっと語られてよいと思います。うちのような神道系大学は戦争責任をとっています。皇學館なんか、いったんつぶされています。しかし、神社や教派神道は戦争責任をとっていないはずです。そのまま温存されてきた。宗教に厳しいサヨク的な人たちが、どうしてこのあたりを論じないのか、不思議でなりません。結局、包摂されているんですわ。大学の人もインテリの人もマスコミの人もネットワーカーたちも、そんなことは習っていないし、タブーだから黙っている。それでいいんでしょうかね。この人たちも、お仲間たちで同調行動しているだけのように見えるので、いらいらしてきました。あと、創価学会の人たちも多くは不勉強で、政治については公明党にお任せという人がほとんどです。創価大学なんか国際派だし、何か言えばいいのに、何もコメントを出そうとしない。国民主権といっても、できるのは選挙に立候補するか投票するかなので、それはやっているんだけど、こっちはこっちで同調行動。公明党の北側氏とチームの人たち(法律専門家と国際派)は、むしろ孤立しているんじゃないかな。・・というお答えでよろしいでしょうか。共産党も含めて、ほとんどの政治家は宗教を持っています。共産党の人たちだって、親が死ねば坊さんを葬式に呼びます。無宗教ではないんです。日本国憲法には信教の自由が明記してあるから、それは問題ではないという考えです。ただ、伝統とか歴史とかに隠れている伝統宗教の教義をよく知っておくことが重要だと思います。それがほんとの「日本のタブー」だと思います。