喪失感のしのぎ方

生きているうちには必ず耐えなければならない苦しみがある。そのひとつが喪失感である。「○○を喪失してヘコむ」というときの○○は実に多様なので、ここでは抱えてしまった喪失感にどう取り組めばいいのかについて経験知を書いておきたい。私もアラ還なので、それなりの経験知はある。ほんとは「喪失感の社会学」が用意されていれば、けっこう社会のお役に立つと思うのだが、個別事例に即した実証研究をさまざまな領域から見つけてこなければならない。

ここでは「喪失感」の1点だけに焦点を当てて、その「しのぎ方」を考えてみよう。

(1)信仰を始める。喪失感にはたいてい死の事実があるので、死について理解できる知が必要になる。無宗教の人は、たいていここで途方に暮れる。生きることと死ぬことをどう理解するかについての解答をもつのは宗教だけである。と言うか、そういうものを宗教と呼ぶのである。死については確かめようがないので「信じる」しかないのが宗教である。その意味で、おそらくこれが根本的なしのぎ方だと思うが、他方、宗教ほど危険なものはない。まあ、教義がしっかりしていて社会的に公認されているものであればいいが、教義が曖昧でなんとなくオシャレに見える「スピリチュアル系」や「ニューエイジ系」は要注意である。教義が明確な宗教は批判もされやすいが、あいまいな宗教はあいまいなので批判もされにくいし、この種の人びとは「これは宗教ではない」とさえ言うので、かえってよさげに見えるのが落とし穴である。喪失感に見舞われた無宗教の人は、この落とし穴にハマりやすい。あと、ハマりやすいのは自分教を作り上げてしまうことである。これは一種の思考停止であり、そうすることで自分の心を保全するのであるが、宗教知のように「知の合理化」(マックス・ウェーバー)がないために破綻しやすい。信仰をともにできる仲間もいないのも弱点である。しばしば信仰が救いになるのは、信仰者によって作られたコミュニティによることが多いのである。

(2)宗教学を学ぶ。宗教にはさまざまなものがあるので、まずはそういう知識をつけておくのが賢明である。世界のさまざまな宗教で「喪失」をどのように理解しているのかを知ることは「しのぎ方」の必修科目だと思う。宗教学者エリアーデの『世界宗教史』がベストだが、まあ、図書館の宗教学の棚にある本を片っ端から読んでみるといい。そうすると、ある程度の宗教への批判的リテラシーができる。世界の宗教は、じつに多彩な方法で喪失感のしのぎ方をあみだしている。これを宗教学という一歩「上から目線」で眺めてみるとヒントを得られると思う。この「上から目線」に立つこと自体が、じつはひとつのしのぎ方なのである。視野の支点をひとつメタレベルにあげると楽になる。

(3)美しいものを見る。本を読む元気もないという事態も大いにありうる。そんなときは、へんな宗教書やスピリチュアル本なんか手に取らないで、何か美しいものを見るようにするといいと思う。私はそうしてきた。素敵な異性に恋するというのが、喪失感の埋め方になることはたしかであるが、相手のあることでもあるし、そこに直行する前にいくつか試みてみるといい。私の場合だと、音楽、美術、ファッション、写真集、アイドルなんかが、美しいものとの接触だった。これは好みがあるので、人それぞれである。この10年ぐらいは美しいものを見たくてしようがなかったし、今もそうである。なりふりはかまっておられないし、けっこう大人買いしたものだ。

(4)天才を知る。古今東西、天才はけっこういる。私の場合、2001年にパニック障害になって地獄を見たときに救いだったのは、意外にもイチローの活躍だった。私はスポーツには疎いのだが、なぜかイチローに励まされたのである。以後、いろんな分野の天才たちを見るようにしている。アスリートには相変わらず関心がないのだが、天才アーチストと自分が思う人にはいつも注目している。重要なことは、天才たちも苦労していることを知ることだ。たいていピークのあとの生き方において、天才は天才なのだ。学ぶことは多いし、自分の喪失感も和らぐものである。

(5)居場所を変える。喪失感を抱えた人が必ずするのが旅である。それは理にかなったことだと思う。オルテガは「自分は自分と自分の環境である」と喝破している。居場所という環境を変えることで自分の抱えている喪失感も(いいか悪いかは別として)変容するものである。私は狭い書斎から離脱しないとダメだと思って、妻の一言もあって、家を建てることにした。ローンを抱えて苦しくなるが、思い切ってよかったと思っている。もちろん引っ越しでもいい。そんなことができない人は、どこかに通う場所をみつけることだ。総じて広い場所がよい。人とのコミュニケーションのある場がよい。

(6)ひたすら歩く。最初は懐かしい場所を歩きたくなるのは人情で、それは必要なことだと思う。がっかりすることもあるが、それはそれで喪失感の構成要素であるノスタルジーを吹っ切る効果がある。さらに外に出て、いろんな場所を歩くのがいい。私は近所の大きな公園が好きで、犬を連れて散歩に行くのが楽しみである。公園は風景が何十年も変わらないので、それがいいのである。歩くことは、けっこう頭や心の整理になる。もちろん走るのでもかまわない。無心になることであれば何でもいい。

(7)動物を飼う。これは定番かもしれない。我が家もこれでどんだけしのいできたことか。もちろんペットロスもあって、それでもって喪失感が生じることはあるのだが、それでも生き物とのコミュニケーションは貴重な経験だ。だから、ペットロスに対して飼い主はたいていどちらかである。「もうこんな悲しみは味わいたくない」と動物を飼うのをぷっつりやめてしまう人と、すぐに別の子たちと一緒に暮らすのを望む人たちである。うちは後者である。高齢になると、いつかあきらめなければならないが、失われた命を思いながら、新しい命と出会って、それを慈しむことは喪失感のしのぎ方としてはありだと思う。「命はみんなつながっている」と考えればいいと思うが、それはそれで宗教的言説になってしまうので、ここでは深掘りはしない。

(8)自分の人生をやり直す。私はこの10年、ひたすらこれをやってきた。人生には分岐点がいくつもあって、そのつど私たちはどちらかを選択して(あるいは選択しないままに)今までの人生を歩んできたのである。自分の今の喪失感をしのぐ方法のひとつは、今までの自分の人生の分岐点をたどってみて、いずれかの分岐点から生き直すことである。退職して仕事世界を喪失した中高年者が若いときの趣味の世界に復帰しようとするのは、その典型である。人生はまっすぐ前に進むだけのものではない。過去の分岐点からやり直すことは、その気にさえなれば可能なのである。理論的に言うと「他にもあり得たであろう可能性」を探るのである。私は5年ほど前に「中学1年生からやり直そう」と決意して、衣食住から勉強からやり直してきた。服についていうと、まず自分で選びアイロンも自分でかけメンテもする。そこから始める。試行錯誤はしたが、結局、家も建てた。その分、研究活動は完全にストップしてしまったが、それは必要なことだったと思う。英語力もついたし、歴史感覚もついたので、視野がぐっと広がった。「英語できなかったの?」と言われそうだが、社会学に傾倒して以来、私はドイツ語をひたすら勉強してきたのである。それでもって、つたない翻訳書や文献目録も作ってきたし、専門論文もそれなりに読んできた。しかしグローバル化の進展のせいで、みんな英語になってしまったし、分量がものすごい勢いで増加しているので、抜本的に英語力のパワーアップが必要になっていた。英語文献のメガ読み対策である。そもそも専門家というのは、いろんなものを捨ててきた人なのだ。普通の若い人だって「捨て科目」とかしてきてるはず。「ちょっと捨てすぎじゃないの」と思う学生はけっこう多い。それを分岐点に復帰して「もうひとつのライフコース」の方に挑戦してみるのだ。『ゼミ入門』にも書いたが、第3志望の大学に入学したからと言ってしょげることはないのだ。ここがスタートラインだと思って、スタートダッシュすれば道は拓ける。決意するかどうかが最大の分岐点である。

(9)伝記を読む。どんな人も苦労しているものなので、伝記には「しのぎ方」満載である。この点では、私は昔から学生にノンフィクションを読むよう薦めてきた。何を読むかは自分次第だが、苦労人の方が身近である。柳田邦夫『人間の事実』なんか、かなりのノンフィクションが紹介されているので参考になる。もちろん小説にもそういう効果はある。

(10)心療内科に行く。精神科でもよい。ふつうに眠れなくなるのが当たり前なので、それで体調を壊すことが多い。ポイントは、朝ちゃんと起きること。そのためには睡眠薬などを処方してもらって、ペースをコントロールするのが現実的である。しっかり寝るのがとても大事。睡眠薬とアルコールは併用してはいけないので、基本的にノンアルコール生活にするのが賢明である。私も「早寝、早起き、ノンアルコール」でなんとか乗り切ったような気がする。睡眠導入剤といって寝付きをよくする薬もあるので、医者に処方してもらうとよい。そうすれば仕事への影響がより少なくて済む。医者の判断では安定剤や抗うつ剤を処方されることもある。私の経験では、ちゃんと服薬するのが安全。そうでないと医者のさじ加減が狂ってしまうから。病院はいきなり受け付けてくれないので、内科医でいいから相談して紹介状を書いてもらうと、すんなり受診できる。病院はチーム医療なので、主治医はひとりでも、判断はチームでやっていることが多い。

(11)ファッションを変える。正確には、ファッション・スタイルを変えてみること。これは女子はよくわかっていることだが、男子は全然わかってないことが多い。とりわけ大人になると、かなり困難な仕事になる。でも、若干のメンズファッション誌を読んでみて、今はファストファッションがあるし、大きなセレクトショップもあるので、そういうのを利用して、丸ごと変えてしまうのである。これはかなり効く。モテ期に入るのではなく、自分に効くのである。きっと「どうしたの?」と聞かれるが、気分転換だと言っておけば、そのうち周りも慣れる。「どうしたの?」と聞いてくれる人は大切にしよう。

とりあえず今日はここまで。Jさんへ。