なぜグループアイドルなのか

ぐぐたすに即興的に書いたものをこちらでも共有します。

なぜグループアイドルなのかについては書いておかなければならないかも。第1の理由は、私が指導している大学院生がいわゆる「アイドルヲタク」で修士論文を書くというので、毎週議論を重ねていること。卒論だったら、とくに突っ込む必要がないのだが、修士論文となると審査があり発表会があり研究科委員会(大学院の教授会)がある。いざ問題になったときに研究科委員会で答えるのは私なのである。ほんとにわかっていなければならない。それであれこれと見て回っているのだが、「ミイラ取りがミイラになった」ところがあって、けっこう素晴らしい世界なので、かなりハマっているというわけである。第2の理由は、勤務先でプロジェクトを立ち上げようとしていて、そのさいのキーワードに「物語」を選んだこと。昔話ではなく、現に息づいている物語のほうだ。とりわけ「群像の物語」がどのように立ち上がってくるのかを知りたい。現在進行形のグループアイドルは、まさにその神話創世過程の只中にあると見ている。それは訓練されたアイドルたちと情報力のあるオーディエンスたちの相互作用によって日々構築されつつある。その歴史の歩みの速いこと速いこと! みるみる物語が構築されていく。これはすごい。浅薄なビジネスモデル論よりも、私はこちらのほうに興味がある。第3の理由は、彼女たちの音楽が、ガラパゴス的進化をしてきた歌謡曲のパロディになっているということ。パロディというのは、批評的な再演奏のことである。おかしみはあるが、しかし、けっこうまじめにレトロな音楽を縦横無尽に歌ってくれるのは、かつてのアイドルファンおよび歌謡曲ファンとしては、とてもうれしいことなのである。中森明菜たちはコンプリートしてしまったので、もう聴くものがないと思っていたら、そんなことはない、彼女たちが一生懸命再演奏していた。それは私にはけっこうな驚きだった。YouTubeもありがたい。生写真と握手券が抜き取られたあとのボックスセットは、とっても安い。こういうのは「一周遅れのランナー」の特権である。その特権を行使している今日この頃である。